そして誰もいなくなった

ヴェラはある島のお屋敷に向かっていた。新しい仕事につくためだ。が、ヴェラを待っていたのは、おそるべき死のゲームだった!? お屋敷に集められた十人の命が狙われる。一人また一人。島からは出られない。助けも来ない。姿の見えない殺人鬼U・N・オーエンは何者か? ヴェラは生き残れるのか やがて衝撃の真実が明かされる。ミステリ史上もっとも有名な傑作

  • 青木久惠訳
  • 早川書房 ハヤカワ・ジュニア・ミステリ
  • ISBN:9784152099228
  • イラスト:くろでこ

登場人物

ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ

高名な元判事

ヴェラ・エリザベス・クレイソン

秘書・家庭教師を職業とする娘

フィリップ・ロンバート

元海軍大尉

エミリイ・カロライン・ブレント

信仰の厚い老婦人

ジョン・ゴードン・マカーサー

退役の老将軍

エドワード・ジョー・アームストロング

医師

アンソニー・ジェイムズ(トニー)・マーストン

遊び好きの青年

ウィリアム・ヘンリー・ブロア

元警部

トマス・ロジャース

オーエンの召使

エセル・ロジャース

オーエンの召使。トマスの妻

「十人の小さな兵隊さん」
小さな兵隊さんが10人、食事に行ったら1人が喉につまらせて、残り9人
小さな兵隊さんが9人、寝坊をしてしまって1人が出遅れて、残り8人
小さな兵隊さんが8人、デボンへ旅行したら1人が残ると言い出して、残り7人
小さな兵隊さんが7人、薪割りしたら1人が自分を割ってしまって、残り6人
小さな兵隊さんが6人、丘で遊んでたら1人が蜂に刺されて、残り5人
小さな兵隊さんが5人、大法官府に行ったら1人が裁判官を目指すと言って、残り4人
小さな兵隊さんが4人、海に行ったら燻製ニシンに食べられて、残り3人
小さな兵隊さんが3人、動物園に歩いて行ったら熊に抱かれて、残り2人
小さな兵隊さんが2人、日向ぼっこしてたら日に焼かれて、残り1人
小さな兵隊さんが1人、1人になってしまって首を吊る、そして誰もいなくなった

英、米、日。初版

英国では1939年にコリンズから「Ten Little Niggers」*のタイトルで、 米国では1940年にドッド・ミードから「And Then There Were None」のタイトルで、 それぞれ刊行されました。
* 当時実在した童謡に基づくタイトルでしたが、niggerは差別用語であるため、このタイトルは使用されなくなりました。

日本語初訳は1939年、雑誌『スタア』に掲載された「死人島」(清水俊二訳)です。

Ten Little Niggers

1939年
Collins Crime Club

And Then There Were None

1940年
Dodd, Mead & Co.

そして誰もいなくなった

1955年
早川書房
清水俊二訳

いろんなで、言語で。

アガサ・クリスティの作品は、さまざまな言語に翻訳され、世界のあらゆる国・地域で刊行されています。 ここでは代表的なものを紹介していますが、もっとたくさんの翻訳本を眺めたい人は [世界の表紙ギャラリー(英語)] をご覧ください。

イギリス

イギリスでは1980年代まで“Ten Little Niggers”のタイトルで刊行されていました。現在は“And Then There Were None”です。写真はFontana Books、1982年。

アメリカ

And Then There Were None”のタイトルで刊行されています。写真はPocket Books、1973年。イラストはトム・アダムス。

フランス

Dix petits nègres”(10人の小さな黒人)のタイトルで刊行されていましたが、現在は“Ils étaient dix”(10人もいました)に変更されています。写真はLe Masque、2011年。

ブルトン語

Dek Morian Bihan”のタイトルで刊行されています。写真はKeit Vimp Bev、2012年。

オランダ

Tien kleine negertjes”(10人の小さな黒人)のタイトルで刊行されていましたが、現在は“En toen waren er nog maar...”(そして、そこにはただ...)に変更されています。写真はLuitingh-Sijthoff(Poema)、1994年。

ドイツ

Zehn kleine Negerlein”(十人の小さな黒人)や“Letztes Weekend”(先週末)のタイトルで刊行されていました。現在は“Und dann gab's keines mehr”(そして、それ以上はありませんでした)のタイトルです。写真はAtlantik、2023年。

スウェーデン

Tio små negerpojkar”(10人の小さな黒人少年)のタイトルで刊行されていましたが、現在は“Och så var de bara en”(そして、彼らはただ一人でした)です。写真はBonniers(Zebra-bok)、1955年。

デンマーク

En af os er morderen”(私たちのうちの一人が殺人者です)や“Ti små negerdrenge”(10人の小さな黒人少年)のタイトルで刊行されていました。現在は“Der var ti, der var ni...”(10人もいた、9人もいた…)のタイトルです。写真はCarit Andersen、1956年。

ノルウェー

Ti små negerunger”(10人の小さな黒人の子供たち)や“Ti små negerbarn”(10人の小さな黒人の子供たち)のタイトルで刊行されていました。現在は“Og dermed var det ingen”(そして、何もありませんでした)のタイトルです。写真はAschehoug、1947年。

フィンランド

長く“Kymmenen pientä neekeripoikaa”(10人の黒人の少年たち)のタイトルが使われていましたが、現在は初訳の際にも使われた“Eikä yksikään pelastunut”(そして誰も救われなかった)に戻っています。写真はWSOY、1940年。

アイスランド

Tíu litlir negrastrákar”(10人の黒人の少年たち)のタイトルで刊行されています。写真はSkjaldborg、1992年。

エストニア

Kümme väikest neegrit”(10人の小さな黒人)のタイトルで刊行されていましたが、現在は“Ja ei jäänud teda ka”(そして彼もそこには残らなかった)です。写真はVarrak、2022年。

ラトビア

Un tur nesēž vairs neviens”(そしてそこにはもう誰も座っていません)や“Desmit mazi nēģerēni”(十人の小さな黒人)のタイトルで刊行されています。写真はPreses nams、1995年。

リトアニア

Dešimt indėniukų”(10人のインディアン)や“Ir tada nebeliko nei vieno”(そして何も残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はŽidinys、1989年。

イタリア

Dieci piccoli indiani”(10人の小さなインディアン)や“...E Poi Non Rimase Nessuno”(そして誰もいなくなった)などのタイトルで刊行されています。写真はMondadori、1994年。

スペイン語圏

Diez negritos”(10人の小さな黒人)や“Y no quedó ninguno”(そして何も残らなかった)などのタイトルで刊行されています。写真はBiblioteca Oro、1946年。

カタルーニャ語圏

Deu negrets”(10人の小さな黒人)や“I aleshores no en quedà cap”(そして何も残らなかった)などのタイトルで刊行されています。写真はColumna、2008年。

バスク語圏

Hamar beltx”(十人の黒人)や“Eta ez zen alerik ere geratu”(そして一粒も残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はIgela、2008年。

ガリシア語圏

Dez negriños”(10人の小さな黒人)のタイトルで刊行されています。写真はEditorial Galaxia、2003年。

ポルトガル語圏

O Caso dos Dez Negrinhos”(10人の小さな黒人の事件)や“E Não Sobrou Nenhum”(そして何も残らなかった)などのタイトルで刊行されています。写真はGlobo、1942年。

ギリシア

Δέκα μικροί νέγροι”(10人の小さな黒人)や“Και δεν έμεινε κανένας”(そして誰も残らなかった)などのタイトルで刊行されています。写真はΑΓΚΥΡΑΣ、1968年。

セルビア

Deset malih crnaca”(10人の小さな黒人男性)や“I ne osta nijedan”(そして一人も残らない)のタイトルなどで刊行されています。写真はMozaik knjiga、2013年。

モンテネグロ

Deset malih crnaca”(10人の小さな黒人男性)のタイトルなどで刊行されています。写真はNova knjiga、2020年。

クロアチア

Deset malih crnaca”(10人の小さな黒人男性)のタイトルで刊行されています。写真はGlobus、1986年。

ボスニア

Deset malih crnaca”(10人の小さな黒人男性)のタイトルで刊行されています。写真はSvjetlost、1961年。

スロベニア

In potem ni bilo nikogar več”(そして誰も残らなかった)ほかのタイトルで刊行されています。写真はUcila International、2004年。

マケドニア

И не остана ниту еден”(そして一つも残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はАрс ЛИБРИС、2021年。

アルバニア

Dhe nuk mbeti më askush”(そして誰も残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はDituria、2019年。

スロバキア

Desať malých černoškov”(10人の小さな黒人)や“A neostal ani jeden”(そして一つも残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はSlovenský spisovateľ、2021年。

チェコ

Deset malých černoušků”(10人の小さな黒人)や“A pak nezbyl žádný”(そして何も残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はKalibr、2021年。

ハンガリー

Tíz kicsi néger”(10人の小さな黒人)や“Mert többen nincsenek”(もう何もないから)などのタイトルで刊行されています。写真はHelikon Kiadó、2022年。

ブルガリア

Десет малки негърчета”(10人の小さな黒人)や“Те бяха десет”(10人もいました)のタイトルで刊行されています。写真はНародна младеж、1967年。

ポーランド

Dziesięciu Murzynków”(10人の黒人)や“I nie było już nikogo”(そして誰も残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はWydawnictwo Iskry、1960年。

ルーマニア

Zece negri mititei”(10人の小さな黒人)のタイトルで刊行されています。写真はPentru Literatura Universala、1966年。

ウクライナ

Десятеро негренят”(10人の黒人)や“І не лишилось жодного”(そして一つも残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はКлуб Семейного Досуга、2018年。

ロシア

Десять негритят”(10人の小さなインディアン)や“…И никого не стало”(そして誰もいなかった)のタイトルで刊行されています。写真はСтавропольское книжное издательство、1989年。

ジョージア

და აღარავინ დარჩა”(そして誰も残っていない)のタイトルで刊行されています。写真はპალიტრა L、2018年。

トルコ

Negro Adasının Sırrı”(黒人島の秘密)や“On Küçük Zenci”(10人の小さな黒人)のタイトルで刊行されています。写真はAhmet Halit、1945年。

アゼルバイジャン

On Zənci Balası”(10人の小さな黒人)のタイトルで刊行されています。写真はQanun Nəşriyyatı、2014年。

アルメニア

Եվ ոչ ոք չմնաց...”(そして誰も残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はԷդիթ Պրինտ、2019年。

ヘブライ語

ולא נותר אף אחד”(そして誰も残っていない)ほかのタイトルで刊行されています。写真はAm Oved Books、2018年。

アラビア語

جزيرة الموت”(死の島)ほかのタイトルで刊行されています。写真はJARIR Reader、2008年。

ペルシア語

ده بچه زنگی”(10人のベルボーイ)ほかのタイトルで刊行されています。写真はHermes books、2017年。

クルド語

ده مندالی زنجی”のタイトルで刊行されています。

パシュトー語

او بیا هیڅوک نه وو”(そして、誰もいなかった)のタイトルで刊行されています。

ウルドゥ語

دہشت ناک جزیرہ”(ひどい島)のタイトルで刊行されています。

ヒンドゥー語

शिकारी”(ハンター)のタイトルで刊行されています。写真はHarperHindi、2017年。

タミル語

பிறகு, அங்கு ஒருவர் கூட இல்லை”(するとそこには誰もいなかった)のタイトルで刊行されています。写真はChennai、2008年。

マラヤ―ラム語

ഒടുവിൽ ആരും അവശേഷിച്ചില്ല”(ついに何も残らなかった)のタイトルで刊行されています。写真はLitmus、2013年。

グジャラート語

એ મર્ડર ઈઝ એનાઉન્સડ”(犯行現場)のタイトルで刊行されています。写真はR. R. Sheth、2017年。

ベンガル語

টেন লিটল ইন্ডিয়ানস”(10人の小さなインディアン)ほかのタイトルで刊行されています。写真はজাতীয় সাহিত্য প্রকাশ,、2012年。

シンハラ語

දඬුවම ලුහුබැඳ”(処罰の追求)ほかのタイトルで刊行されています。写真はPrabha Publications、刊行年未確認。

インドネシア

Sepuluh Anak Negro”(10人の黒人の子供たち)や“Lalu Semuanya Lenyap”(それからすべてが消えた)のタイトルで刊行されています。写真はGramedia、2008年。

タイ

ตุ๊กตาอาถรรพณ์”(謎の人形)や“จนศพสุดท้าย”(最後の死体になるまで)などのタイトルで刊行されています。写真はสร้างสรรค์บุ๊คส์、2005年。

ベトナム

Mười Người Da Đen Nhỏ”(10人の小さな黒人)ほかのタイトルで刊行されています。写真はNxb Pháp lý、1988年。

中国語(簡体)

无人生还”(誰も生き残れなかった)などのタイトルで刊行されています。写真は新星出版社、2016年。

中国語(繁体)

一個都不留”(誰一人取り残さない)などのタイトルで刊行されています。写真は遠流出版、2010年

韓国

그리고 아무도 없었다”(そして誰もいませんでした)などのタイトルで刊行されています。写真は자유시대사、1987年。

日本

そして誰もいなくなった”。写真はハヤカワ・ミステリ文庫、1976年。

戯曲版と、映像化

「そして誰もいなくなった」はアガサ・クリスティ本人によって戯曲化され、1943年にロンドンのセント・ジェームズ・シアターで上演されています。

この戯曲版をもとに、これまで何度も映画やテレビドラマが作られてきました。 ちなみに、小説版と戯曲版では、ラストが異なります。

そして誰もいなくなった

1945年 アメリカ
監督:ルネ・クレール

姿なき殺人者

1965年 イギリス
監督:ジョージ・ポロック

そして誰もいなくなった

1974年 伊仏独西合作
監督:ピーター・コリンソン

そして誰もいなくなった

2015年 英BBC(全3回)
監督:クレイグ・ヴィヴェイロス