蛇足
アクナートンは古代エジプト新王国第18王朝のファラオです。日本国内の書物では“アケナテン”,“イクナートン”と呼称されることが多いようです。父はアメンヘテプ3世(僕は学生時代,このファラオの王墓を発掘調査に行きました),母はティ(表音としては“Tiy”が正しいと思います)。
彼は“世界最古の宗教改革者”という点で,エジプト史上まれにみる個性的なファラオといえるでしょう。当時のエジプトでは,首都テーベでアメン神神官団が勢力を誇り,王室にかなりの影響力を及ぼしていました。
彼は宗教改革を断行し,多神教に立脚するアメン神からの脱却を図ります。アメン神(アンモナイトやアンモニアの語源だったりします)を含む多神教を排除し,太陽神アトンのみを信仰する一神教に移行しようとしたわけです。当初彼はアメンヘテプ(「アメン神は満足する」)4世として即位したのですが,王名もイクエンアテン(「アテン神に有用な者」)に改名します(治世第5年)。さらに治世6年目には,宗教的伝統の強い都テーベを捨てて,自分の支持者とともにテーベの北方約480kmの地,現テル・エル・アマルナに遷都し,ここをアケトアテン(「アテンの地平線」)と名づけました。この時代,“アマルナ時代”という自然主義的傾向の強い美術品群が残されています。ただ,アクナートンは宗教改革に専心するあまり,ヒッタイトの南下,アッシリアの興盛といった海外の動きに対応できず,外向的にはアジア(中東)における勢力の縮小を招く結果となりました。
アクナートンの後を継いだのが少年王トゥトアンクアテン(「アテンの生ける像」)です。9才前後で即位したため,アトン神信仰を維持できず,アメン神官団の圧力に負けて,後にトゥトアンクアメン(「アメンの生ける像」)と改名しています。これを英語風に読むとツタンカーメンとなるわけです。
ホレムヘブはツタンカーメンの将軍でしたが,王が18歳で死亡した後,宰相アイに続いて王位に就きます。彼はその在位期間の多くを,アトン宗教改革運動の払拭に費やすことになります。